日常的なアレコレ

膨れ上がった善意から殺された自由の魂。

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こんにちは。

生きているといろんな柵がありますが、自分の魂だけは
自由でありたいとつねづね思っています。


善意という悪魔。

先日、知り合いが大怪我をしてしまったときのこと。

その人たちと仲がいいグループのリーダー的な人が
「励ましのメッセージと見舞金をおくろう」と言い出したのです。

協力してくれる人だけでいいよ~なんて言っている割に
断ったら、僕のことを人でなし呼ばわりという・・

世間一般で見れば、僕のように断る人の方が少ないのでしょうが
僕に言わせると、その人のことを知っているかどうかという違いだけで
街頭募金などといった性質の寄付行為と変わりありません。

寄付行為のもとになるのは「誰かの役に立ちたい、力になりたい」という
純粋な善意だと思うのです。

ですからその気持ちを誰に向けるのかというのは個人の自由であり
その自由を侵すことは出来ないし、してはいけないのではないでしょうか?

それなのに、自分たちが善とする行為に対し反対するもの、賛同しない
僕のような人にはその善意を悪意に変え牙をむけるという恐ろしさ。

気がつけば、僕はその人達の膨れ上がり変質した善意から
殴られ続け僕の自由な心は彼らから殺されてしまいました。
そう善良だった彼らは善意に囚われた鬼となったのです。

結局、お金を出した僕ですが、強盗で奪われたのと大して変わりありませんので
ショックを受けていると別の方から「大した金額じゃないからいいじゃん」と言われました。

確かに彼らの考えは分かりますし別に痛い出費でもなんでもありませんが
自分が納得しないことに対し一度も抵抗せずに許せば際限なく要求されるものです。

それは、個人間だけではなく企業に対してもひいては国に対しても同じことだと
思います。大したことがないから・・とか自分に直接関係ないからと傍観して
いると、気がつけば抗おうにも抗えない状況になってしまうかもしれません。

今回は膝を屈してしまいましたが、僕は僕自身の魂の自由を求め続けるために
無力だろうが抗い続けていきたい。そう思います。

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